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大阪高等裁判所 昭和49年(行コ)53号 判決

大阪市東淀川区豊里町180の3

控訴人

吉田武

右訴訟代理人弁護士

吉田正文

大阪市東区大手前之町1番地

被控訴人

大阪国税局長

米山武政

右指定代理人

宗宮英俊

外4名

右当事者間の納付通知書による告知処分取消請求控訴事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原判決を取消す。

被控訴人が控訴人に対し昭和44年3月15日付でなした、控訴人を納税者吉田次広の第二次納税義務者として昭和42年分所得税1,350万4,800円、過少申告加算税67万5,200円を納付すべき旨の納付通知書による告知処分を取消す。

訴訟費用は第1、2審とも被控訴人の負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

控訴人は、主文同旨の判決を求め、

被控訴人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二  当事者の主張

当事者双方の主張は、次に付加するほか、原判決の事実摘示と同一(ただし、原判決4枚目表6行目に「田辺町三丁目」とあるのを「田辺町二丁目」と、7枚目裏7行目に「甲号証の1」とあるのを「甲第9号証の1」とそれぞれ訂正する。)であるから、これを引用する。

1  控訴人の主張

(一)  原判決が吉田次広が本件土地全部を相続したとする付随的理由は十分でない。

(1) 控訴人が印鑑証明書を交付したのは、本件土地の2分の1を相続取得したものでその相続登記が必要であったからである。

(2) 控訴人が吉田隆夫が取得した建物の表示変更登記申請に協力したのは、控訴人が自己の相続登記において他の相続人の協力を得る代りに他の相続人のために協力する必要があったからである。この登記が本件土地の相続登記と同一の機会になされていることに注意すべきである。

(3) 吉田次広が本件土地を売却したり、これに抵当権を設定したりしたことについては、同人が本件土地が自己の単独登記名義であることを奇貨としてなしたものであり、控訴人においてこれを承諾していたものではない。

(4) 控訴人が他の相続人に比べて特に学資を得たことは事実であるが、相続をしなくてもよいほどに多くの利益を得たわけではない。相続財産が被控訴人の自認するとおり決して少くなかったことに注意すべきである。現在の共同相続や兄弟平等の原則からすれば、控訴人がほかの相続人と同様に、本件土地の持分2分の1を相続することの方が自然であり、かえって相続をしないことの方が不自然である。

(二)  原判決は、第2次納税義務の発生時期について、国税徴収法39条の解釈適用を誤っている。

民法上の詐害行為取消に関しては、詐害行為が不動産の処分のように対抗要件として登記を必要とする場合、通説、判例によると、取消債権者の債権成立前に処分行為が行われている以上、その登記が債権成立後になされたとしても、右行為は詐害行為取消の対象となしえないものと解されている。国税徴収法39条の要件に該当する処分行為は詐害行為の典型的な場合であり、右法条に規定されている第2次納税義務は詐害行為取消と制度目的を共通にしているので、詐害行為取消に関する右理論は第2次納税義務の成否についても妥当するものである。本件においては、滞納国税の法定納期限は、昭和43年3月15日であって、次広から控訴人に対し本件土地所有権の一部の移転登記がなされたのは、昭和42年3月17日であるけれども、その処分行為(誤った登記を真正な実体に合致させるための、真正な登記名義回復という形式的な行為にすぎないが、仮に被控訴人主張のように実体的な処分行為であるとしても)がなされたのは、法定期限より1年以上も前の昭和41年12月21日であるから、右のとおり登記時ではなく処分行為時を基準とする限り、第2次納税義務発生の期間に関する要件が充足されていないものといわなければならない。

2  被控訴人の主張

(一)  控訴人が印鑑証明書を交付したのは本件土地の2分の1の持分を相続により取得したから、自己の相続登記を了するためであったと主張するが、右のとおりであれば控訴人は自己の持分相続登記がなされたか否かを確認し、また持分権取得等を証する登記済権利証の交付を次広に求めるのが当然である。最高学府である大学の法学部を卒業している控訴人にとっては、何人に権利証が交付されず、また本件土地の持分取得に伴う固定資産税等の賦課通知がないことによって、控訴人のための持分相続登記がなされていないことは、次広の単独相続登記後直ちにかつ容易に知り得たはずである。ところが控訴人は単独相続登記のなされた段階で、異議を申し出る等して右登記の訂正を求めるべきであるのに、6年もの間そのまま放置していたのである。このことは、本件土地は次広が単独で相続したものであることを控訴人において認識了承していたことを示すものにほかならない。

(二)  控訴人は吉田隆夫の建物表示変更登記申請に協力したのは自己の相続登記に協力を得るためであったと主張するが、右登記申請は隆夫が建物を単独で相続したことを前提としたものであって、その登記申請書には本件遺産分割協議書が添付されていたのであるから、控訴人としては当然その内容を了知したはずである。控訴人が同一遺産分割協議書に基づく本件土地の次広の単独相続を争うのは不可解である。

(三)  楢治郎の相続人は、次広と控訴人のほかにも、楢治郎の妻トヨ、控訴人の兄隆夫らがいたのであるから、控訴人が本件土地の持分2分の1を相続するのがより自然であるとする根拠は全くない。次広は家業(吉田商店)の中心として一切を切廻してきたものであり、本件土地が右家業の経営にとって不可欠の財産であること、控訴人は次広に比べて多くの学資を得て大学まで卒業したこと及び奈良県にも相続財産としての山林が存在する事を勘案すれば、次広が本件土地を単独で相続したとしても不自然ではない。

(四)  控訴人は、本件土地の2分の1の持分を相続したと主張するが、そもそも右のような相続をするためには、相続人間で本件遺産分割協議書とは別個の遺産分割協議が調っていなければならないはずである。しかし、本件全証拠によっても右のような遺産分割協議がいつ、いかなる場所で成立したかは一切不明であって、結局このような協議は存在しなかったものと言わざるをえない。

(五)  国税徴収法39条と民法424条はその要件、効果を異にしている。たとえば、控訴人が問題とする債権者の債権の存在と債務者の無償譲渡等の処分行為との関係について、国税徴収法39条は右処分が「当該国税の法定納期限の1年前の日以後」になされた場合に譲受人は第二次納税義務を負うとしているのであり、右は、処分当時は債権者の債権(本件では租税債権)が発生していない場合のあること、すなわち、右債権発生前でも第二次納税義務が生じうることを法自体が予定しているのである。また、本件の第二次納税義務は、「その財産につき滞納処分を執行してもなお徴収すべき租税に不足する」ときに成立するものであることは法文によりして明らかであるところ、主たる納税義務者が無償譲渡等の処分をしてもその登記がない限りなお主たる納税義務者の財産として滞納処分をなしうるのである。これを反面からいえば、当該処分がなされても対抗要件が具備されない間は、主たる納税義務者に対し滞納処分を行えば足り、第2次納税義務の問題は生じないことになる。

三  証拠関係

控訴人において甲第21、第22号証を提出し、当審における証人柿本鳳三の証言及び控訴人本人尋問の結果を援用し、被控訴人において甲第21、第22号証の成立を認めると述べたほか、原判決事実第三証拠の摘示と同一であるから、これを引用する。

理由

一  被控訴人が控訴人に対し、昭和44年3月15日付で、控訴人が吉田次広から昭和42年3月17日本件土地の持分2分の1を無償で取得し、2,707万円相当の利益を得たとして、国税徴収法39条、32条1項により、控訴人を主たる納税義務者次広の第二次納税義務者として同人の昭和42年分所得税1,350万4,800円、過少申告加算税67万5,200円を昭和44年4月15日までに納付するよう納付通知書によって告知したこと、控訴人がこれに対し同月16日被控訴人に異議申立てをしたが棄却され、昭和45年4月18日その決定書謄本の送達を受けたことは当事者間に争いない。

二  被控訴人は、控訴人が次広から本件土地の持分2分の1を贈与を受けたこと、右2分の1は次広がもと所有者である被相続人楢治郎から相続により単独で本件土地全部の所有権を取得した一部であることを主張し、控訴人は本件土地がもと被相続人楢治郎の所有であったことは認めるが、次広が相続により本件土地全部を取得したこと及び右贈与を争うので、右主張について判断する。

1  次の事実は当事者間に争いない。

(イ)  本件土地はもと控訴人、その兄次広らの父吉田楢治郎が所有していたが、同人は昭和35年5月13日死亡したこと。

(ロ)  右土地は吉田商店に賃貸され鳩タクシーに譲渡されるまで右賃貸が続いていたこと。

(ハ)  右土地について昭和36年3月17日右死亡による相続を原因として楢治郎から次広へ所有権移転登記がなされていること。

(ニ)  控訴人と次広とは昭和41年12月21日(正確には乙第6号証によって同月26日と認められる)大阪簡易裁判所で本件土地の持分2分の1につき控訴人の登記名に回復する所有権の一部移転登記をなす旨の即決和解をしたこと。

(ホ)  そして翌昭和42年3月17日次広から控訴人への所有権の一部移転登記がなされていること。

(ヘ)  次広はこれよりさき昭和41年9月24日単独で鳩タクシーに本件土地を売却する契約を締結したこと。

そして右争いない事実と成立に争いない甲第4ないし第6号証、第8号証の1ないし5、第9号証の2ないし5、第10号証の1、2、第16号証の1、2、乙第6号証、第10号証の1、4ないし8、第11ないし第13号証、原審証人吉田次広の証言により次広が控訴人ら相続人名義で作成したと認められる乙第1号証、官署作成部分については成立に争いなくその余の部分については記載内容からして成立が認められる乙第2号証の1ないし3、右乙第10号証の5の印鑑欄の印影と、隆夫名下の印影とが同一であることから真正に成立したものと推定される乙第10号証の2、原審証人尾形〓郎、同芳崎スエ、同坂口修二(ただし後記認定に反する部分を除く)、吉田次広、当審証人柿本鳳三の各証言、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果、弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認定することができる。

(ト)  吉田楢治郎の相続人は妻トヨ(昭和39年1月25日死亡)、長男隆夫(同年6月18日死亡)、二男次広(昭和7年生、昭和50年9月死亡)、三男武(昭和11年生)の4名であったこと。

(チ)  楢治郎の遺産としては吉田商店に賃貸しされていた本件土地及び地上の一部工場建物、居宅である西田辺町2丁目59番上木造瓦葺2階建居宅1棟(建物14坪6合1勺、2階坪7坪5合1勺)及びその敷地賃借権、トヨの出身地である奈良県生駒郡平群村所在の山林2筆6反20歩と9反8畝、吉田商店の株券、現金、家庭用財産であったこと。

(リ)  吉田商店は昭和25年ごろ設立された資本金300万円の枕、羽ぶとんを製造販売する株式会社で、もと楢治郎が代表取締役をしていたが、死亡数年前から病気のため代表取締役は妻トヨとなり、次広は高等学校在学中から家業である吉田商店を手伝い大学へ行くことなく、楢治郎死亡当時吉田商店の経営に当り、昭和38・9年ごろ代表取締役になったこと。控訴人は昭和34年3月関西大学法学部を卒業した後吉田商店に勤務し、昭和36年ごろから取締役となり昭和42年7月ごろ代表取締役となったこと。長男の隆夫に病気のため吉田商店から離れ、母トヨ、家族とともに前記59番上の建物に居住していたこと。

(ヌ)  前記本件土地についての昭和36年3月17日の登記と同日に右59番上の建物の地番表示変更登記及び長男隆夫への相続を原因とする所有権移転登記がなされているが、右各登記手続は次広がひとりで尾形〓郎司法書士事務所に到り依頼したもので、本件土地及び右建物の登記は同月15日付遺産分割協議書(甲第9号証の1、乙第10号証の3)によりなされ、右協議書は尾形〓郎が次広の持参した相続人4名の印鑑登録された印章を使用して作成されたもので、相続人4名名義で遺産分割として本件土地は次広が、右建物は隆夫がそれぞれ分割を受け、トヨと控訴人とは受けない旨の記載があり、相続人4名の印鑑証明書がそれぞれ添付され、うち控訴人の印鑑証明書(甲第9号証の5、乙第10号証の5)中の控訴人の氏名等は控訴人が書いたもので、控訴人が次広から相続のため必要であると言われ、区役所から同月13日交付を受けたものであること。しかし右変更登記申請書に添付された区長への地番証明願(乙第10号証の9)楢治郎の本籍及び登録がないことの証明願(乙第10号証の10)は控訴人名義で名下に右印章が押捺されているが、右氏名等は次広が書いたものであること。

(ル)  本件土地は吉田商店の債務のため昭和36年4月26日中小企業金融公庫に対し抵当権設定登記、同年9月9日三和銀行に対し、昭和39年4月13日幸福相互銀行に対し各根抵当権設定登記、昭和40年6月22日中小企業金融公庫に対し抵当権設定登記がなされていたこと。本件土地については次広単独所有名義のとき前記のとおり次広が単独で鳩タクシーに売買契約をしたが、控訴人への所有権一部移転登記(原因は真正な登記名義の回復)の後昭和42年5月31日鳩タクシーに売却され所有権移転登記がなされたこと。

(ヲ)  吉田商店の本件土地及び地上一部工場建物の賃料は吉田商店の決算報告書上昭和37年8月から38年7月まではトヨに、昭和39年7月から昭和42年7月までは次広に交付されたと記載され、次広の昭和39年ないし昭和41年分の所得税の確定申告には右賃料を自己の所得として申告していること。ただし右賃料は従来隆夫とその家族に生活費として渡されていたものであること。

(ワ)  前記奈良県の山林2筆は昭和43・4年ごろに売却され、次広が代金の3分の2、控訴人が3分の1の700万円余りを取得したこと。

(カ)  楢治郎の死亡後相続税の申告が出なかったので、阿倍野税務署職員坂口修二の指導により、次広が控訴人ら相続人4名の名義で作成して昭和39年12月4日提出した相続税の申告書(乙第1号証)は、その内容は右坂口が次広の言を聞き記載したもので、本件土地は次広が、右59番上の建物とその敷地の賃借権は隆夫がそれぞれ単独で取得した旨の記載があるが、本件土地上の一部工場建物、吉田商店の株券、現金、家庭用財産等については取得者名の記載はなく、右奈良県の山林についてはなんらの記載がないこと。

原審証人坂口修二は、自分は控訴人と自称する人と会い相続税の申告を指導して乙第1号証の作成に関与したと証言するが、原審証人吉田次広の証言、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果及び右証言によって認められる乙第1号証中坂口の手でない部分は次広の手である事実と対比するときは、右坂口が会ったのは控訴人と称した次広であったと認めるのが相当である。

そして右申告書の控訴人名下の印影は前記控訴人の印鑑証明書の印影と同一であるが、控訴人の意思に基づくものであるということは、控訴人は当審での本人尋問でこれを否定するところであり、前記作成された経緯を併せ考えると、これを認めることができない。他に前記認定を左右するに足る証拠はない。

2  右認定のとおり遺産分割協議書は控訴人ら相続人の印鑑登録された印章を使用して作成されたもので、控訴人ら相続人の印鑑証明書の添付があり、うち控訴人の印鑑証明書は控訴人が次広から相続のため必要であると言われ自ら交付を受けている。したがって右事実だけでも右協議書は相続人ら殊に控訴人の意思に基づいて作成されたものと事実上の推定を下すことが考えられる。

しかし前記尾形司法書士に登記を依頼した原審証人吉田次広の証言中の「同人が控訴人の印章を承諾を得て預った。」との供述及び「右協議書を作るのも承諾していたように思う。」との供述は、非常にあいまいで、信用することができない。

一方控訴人は原審及び当審における本人尋問において、「(1) 59番上の居宅は隆夫が取得し、本件土地は吉田商店の工場敷地になっていたので、同商店に勤務していた次広と控訴人とが半分づつ分けるという話合いになっていた。(2) 次広から控訴人の印鑑証明書を取ってくるように言われたが登記に使うとは聞いていなかった。(3) 遺産分割協議書に使用された印章は吉田商店の金庫の中に保管されており当時吉田商店を切廻していた次広が無断使用したもので右協議書が作成されたことは知らなかった。(4) 次広への所有権移転登記がなされていることを知ったのは昭和39年ごろである。」旨供述し、弁論の全趣旨によって成立が認められる甲第18号証(控訴人作成の昭和43年4月10日付阿倍野府税事務所長宛て嘆願書)、第19号証(控訴人作成の同年7月付同事務所長宛て申立書)中には、「本件土地についての控訴人の所有権は楢治郎の死亡により家族話し合いの上次広と共有として発生した。昭和36年9月ごろ吉田商店が融資を受けるため名義変更の必要が生じ、当時代表として折衝していた次広が同人と控訴人の名義に登記すると言いながら印鑑を流用し共有であるにかかわらず、同人の単独名義にした。昭和41年ごろ次広が本件土地を売却しようとしていると聞き、調べたところ、次広単独名義となっていた。」旨の記載があり、前記原審証人吉田次広は、「(1) 59番上の居宅は隆夫が取得し、本件土地は次広と控訴人とが半分づつ取るという話合いになっていた。(2) 本件土地を次広の単独名義にしたのは担保権を設定するにつき便宜が良かったからである。」旨供述し、原審証人芳崎スエは、「自分はトヨの妹であるが、姉から長男には別宅(59番上の建物)をやり、次広と控訴人と二人が商売をしているから裏の土地(本件土地)を2分の1づつやろうと思うということを聞いていた。」旨供述する。右控訴人の(3)の供述中の控訴人の印章の無断使用の点は、前記認定の乙第1号証、第10号証の9、10の記載に照してその可能性があるが、証人吉田次広の(2)の供述は、吉田商店のため担保権を設定するについて共有であっても支障は考えられないことに徴し、信用することができず、また同人は前記乙第1号証において(1)の供述と反するところのある記載をしている。控訴人が大学法学部出身でありながら相続のため必要ということだけで印鑑証明書の交付を受け次広に渡しながら何に使用されたか知らずその後の経過に注意を払わなかったという点や抵当権を設定している吉田商店に勤務しながら登記が次広の単独所有になっていることを昭和39年又は昭和41年に知ったという点は不審なところもあるが、次広が吉田商店を切廻し、控訴人がこれに従っていた当時としてありえないことではない。

ところで(一) 控訴人が次広と同様に吉田商店に勤務しているのに、吉田商店の工場敷地として賃貸しされている本件土地を次広の単独所有とし、控訴人には右土地の権利を与えないという遺産分割は、当時次広が吉田商店を切廻していたこと及び次広は高等学校を出ただけであるのに控訴人は大学を卒業させてもらっていることを考慮に入れても不自然である。右協議書作成当時奈良県の山林について協議されたと認める証拠はなく、右協議書のとおりとすれば控訴人は隆夫、次広と較べ非常に不利益である。また(二) 次広が右協議書のとおり遺産分割により本件土地所有権を取得しているならば、特別の事由がない限り、その後右占有権の持分2の分の1を控訴人に回復するという即決和解をして右持分2分の1の所有権移転登記をする必要があるとは考えられない。

右(一)・(二)に述べたことを考慮するとき、当裁判所としては、前認定事実によってはまだ前記遺産分割協議書に記載された本件土地を次広の単独所有とする遺産分割がなされたとは認めがたく、右協議書も相続人ら、殊に控訴人の意思に基づくものとは認めがたい。

なお原審証人尾形〓郎の証言中には、「控訴人が前記次広への所有権移転登記をした後数年して同証人の事務所へ来たが、その際控訴人は不動産は全部兄貴が貰い受け、それを売った金を自分が貰うことになっていたと述べていた。旨の供述があり、原審における控訴人本人尋問の結果中には控訴人がそのころ右司法書士事務所を訪れた旨の供述があるが、前記供述中の不動産が何を指すのか明らかでなく、本件土地は吉田商店に賃貸中の土地で売却が当初から予定されていたとは考えがたい点、また控訴人が述べたという前後の事情が明らかでない点から、被控訴人主張の補強証拠となしがたい。

結局次広が遺産分割により本件土地を単独所有した事実は認められず、したがってその持分2分の1を控訴人に無償譲渡した事実も認められない。

三  そうすると、その余の点を論ずるまでもなく、本件土地の無償譲渡を理由とする被控訴人の本件告知処分は取消を免れないものといわなければならない。

よって、右と異なる原判決を取消し、右処分の取消を求める控訴人の請求を正当として認容し、行政事件訴訟法7条、民訴法89条、96条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村瀬泰三 裁判官 林義雄 裁判官 弘重一明)

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